京都線と千里線が交差する地平駅です。島式ホーム2面4線から成りますが、両線は平面交差となっているため非常に配線が複雑になっており、この駅を通過する列車は減速を余儀なくされます。長らく急行以下の列車が停車する駅でしたが、2007年3月のダイヤ改正により特急が停車するようになりました(通勤特急は通過)。
同じ方向(京都方面および千里方面、大阪方面および天神橋筋六丁目方面)は同一ホームで乗り継ぐことができるほか、異なる方向の乗り継ぎは、各ホーム間を結ぶ地下道を使うことになります。
出口は東西にそれぞれ1個所ずつ設けられています。西口は狭いながらも一応自動車が通行できる道路につながっていますが、広場と呼べるスペースはなく、自転車も多いため通行はなかなかたいへんです。

淡路駅東口。《2007年9月17日撮影》
いっぽうの東口は、自動車の通行できないアーケード街に直結しています。飲食店やパチンコ、各種小売店がずらりと軒を連ねている中、電車の駅は何とも肩身が狭そうに見えます。アーケード街のガード上をゴロゴロと音を立てて電車が走るさまは、なかなか迫力があります。
京都/千里方でJR城東貨物線と交差しており、おおさか東線開通のあかつきには乗換駅となる予定です。
西側から順に2号線、3号線となります。なお、1号線は欠番です。
淡路の地名は、菅原道真が九州太宰府に左遷された際、淡路島と誤ってこの地に上陸したという伝説によります。史実はともかく、当時はこの一帯にまで海が広がっており、ところどころに島が浮かぶという状態だったものと思われます。
北大阪鉄道が十三-豊津に開通した際に設置された駅です。開業当時は、駅の東方にあった増島の村の名をとり入れて、「淡路増島」と呼んでいたといいます[1]が、これは通称であり、正式名称は当初から「淡路」だったようです。なお、この区間はもともと官鉄の旧線跡を転用したものです。
北大阪鉄道が新京阪電鉄に合併されたのち、天神橋(のち廃止)へは1925年10月15日に、高槻町(現・高槻市)へは1928年1月16日に、それぞれこの淡路から分岐する形で開通しています。
地図を見ると、崇禅寺方面から淡路駅を経て下新庄へいたるルートが自然な線形になっていることがわかりますが、それはこういった歴史的な経緯によるものです。
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2008年1月1日
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