地平に2面4線を備える駅で、駅舎は橋上に設けられています。小田急と相鉄の乗換駅として多数の乗客が乗り降りしますが、改札は1個所のみで、すべての乗降客が南北自由通路を通って出入りします。相鉄との連絡改札はありませんが、同じ駅舎の中に入っており(小田急の改札は2階で相鉄の改札は中2階)、玄関も共用となっています。
駅の南口にはペデストリアンデッキが整備され、駅周辺のショッピングセンター「ビナウォーク」へと連なっています。駅前広場はバスターミナルになっていますが、現在ではペデストリアンデッキに囲まれるようになっています。

再開発前と駅舎は変わっていませんが、景観は大変貌を遂げました。《2001年12月14日撮影》
北口は、JR相模線との乗り換え通路になっていますが、小田急のグラウンドなどがあるのみで、ほとんど開発は進んでいません。日立製作所の工場などがあるものの、事実上、JRとの乗り換え専用出口と化しています。
大きな海老名電車基地があり、常に多くの列車が行き来しています。
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小田原線全線開通当時は、先に開業していた神中鉄道(現・相模鉄道)と接続するため、同線(現在では貨物線-厚木線)と交差する付近に「海老名国分」駅が設けられました。その後、神中鉄道が相模国分-海老名間を1941年11月25日に開業させた際に、神中線から小田急の相模厚木(現・本厚木)への乗り入れが行われるようになり、この乗り入れ列車にかぎって旅客営業を開始しました。すなわち、他社直通列車にかぎり旅客営業を行っていたわけで、現在では、JR東日本・鹿島線の鹿島神宮-鹿島サッカースタジアムのような存在に近かったといえるでしょう。
小田急の電車が海老名駅に停車するようになったのは、神中鉄道が相模鉄道(現・JR相模線)に合併された1941年11月25日のことです。なお、この時点で、小田急は東京急行電鉄に合併されています。現・相鉄線の小田急乗り入れは戦後まで続きましたが、海老名で平面交差して車両が横断するのがネックとなり、列車本数の増加を受けて、1964年11月に廃止されています。
1972年には、300両を超える収容量数を誇る海老名電車基地の供用が開始されました。
駅南口すぐ。駅正面にある海老名中央公園を囲むように、中層ショッピングビルや各種レストランなどが多数入居しており、映画館やラーメン街などが、特に活況を呈しています。なお、中央公園にある七重塔は実寸大ではないので念のため。
駅から東へ徒歩10分。室町時代後期に、旧・国分寺が現在位置に移転しました。鎌倉時代の土豪であった海老名氏一族の国分氏が鋳造させた梵鐘が保存されています(国指定重要文化財)。
駅から東へ徒歩12分。奈良時代に建立された国分寺での跡地。数度にわたる発掘調査の結果、伽藍配置は法隆寺方式で、その規模は武蔵国分寺につぐことが明らかになっています。現在は史跡公園として整備中。また、旧海老名町役場を移築した資料館「温故館」があり、国分寺の出土資料などを展示しています。
《乗り換え》JR東日本-相模線(徒歩4分)、相鉄-本線(徒歩2分)
【海老名郵便局】駅から南東へ徒歩8分。風景印あり。1992年3月25日訪問。
2004年9月5日、写真を追加のうえ加筆修正
2005年7月10日、写真を追加のうえ加筆修正
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