大鳥居を出ると京急空港線は再び地上へ出、首都高速横羽線をアンダークロスすると、ほどなく穴守稲荷駅に到着します。終戦後の米軍占領期や羽田空港整備の際に、一時期暫定終着駅となっていたこともありますが、現在ではそのおもかげはありません。
相対式ホーム2面2線から成る地平駅です。駅本屋は下りホームの羽田空港方にあり、上りホームとの間は跨線橋で連絡しています。駅周辺は古くからの住宅街で、ホームのすぐ脇まで家屋が密集していることもあってホーム幅は頼りなく、特に京急蒲田方は非常に狭小になっているため、快特が通過する際には注意が必要です。なお、この跨線橋はかつて橋上駅舎として使われていたものを、駅舎部分を取り壊して改札内部分のみを再活用しているものです。
駅舎は六角形の形状の玄関を備えており、その真正面には穴守稲荷を意識した鳥居がそびえています。駅周辺は鳥居前町として、商店街がずらりと並んでいます。
穴守稲荷駅は、この先で地下に入り、羽田地区に入っていきます。かつて、初代の羽田空港駅があった部分の土地は駐車場に転用されており、天空橋の手前まで続いています。
停車列車 [2010年10月現在]
特急以下の列車が停車します。
乗り場
北側から順に、1番線、2番線となります。
- 1.空港線下り 羽田空港国内線ターミナル方面
- 2.空港線上り 京急蒲田方面
駅名の由来
特記事項なし。
歴史
穴守稲荷から先の各駅は変転(移転および休廃止)が激しく、このため文献によって開業日がまちまちですが、ここでは1946年8月15日に設置された稲荷橋駅(三代目)を現在の穴守稲荷駅を同一駅と見なします。なお、それ以前の稲荷橋(二代目)、穴守(初代)、羽田(初代)、稲荷橋(初代)、羽田空港(初代)の各駅についても略述します。
- 【1902年6月28日】 京浜電気鉄道によって蒲田(現、京急蒲田)-穴守(初代。現在は廃止)が開通。この当時の穴守駅は海老取川西岸にあり、当時は終着駅でした。
- 【1913年12月31日】 穴守(初代)-穴守(二代目)が延長開業、これに伴い穴守駅(初代)は廃止となります。
- 【1914年】 廃止された穴守駅(初代)が「羽田」(初代)の名称で復活します。
- 【1915年1月】 穴守方に約40m移転のうえ、駅名を「稲荷橋」と変更。
- 【1940年10月】 稲荷橋駅が、京浜蒲田方に約200m移転。
- 【1942年5月1日】 京浜電気鉄道が東京横浜電鉄および小田原急行電鉄と合併して東京急行電鉄となり、東急湘南線の駅となります。
- 【1945年9月26日】 進駐米軍の指令により稲荷橋-穴守(二代目)は休止のうえ接収、稲荷橋駅が暫定終着駅となります。
- 【1946年3月6日】 進駐米軍の指令により京浜蒲田-稲荷橋の上り線も接収、穴守線は一閉塞単線となります。
- 【1948年6月1日】 東急から京浜急行電鉄が分離独立したことに伴い、京急穴守線の駅となります。
- 【1946年8月15日】 稲荷橋駅が京浜蒲田方に約340m移動、現在の穴守稲荷駅の位置に駅が置かれました。
- 【1956年4月20日】 羽田空港(初代。1940年以前の稲荷橋と同じ位置)までの区間が復活、稲荷橋駅は中間駅となり、また駅名を「穴守稲荷」に変更。
- 【1979年11月】 橋上駅舎供用開始。
- 【1991年1月16日】 羽田空港沖合移転工事に伴う路線延伸に伴い、穴守稲荷-羽田空港(初代)が休止、再び暫定終着駅となります。この際、穴守稲荷-羽田空港駅-空港を結ぶ連絡バスの運行を開始。あわせて穴守稲荷駅の下りホームに接して駅舎を設置、従来の橋上駅舎は跨線橋に転用されます。
- 【1993年4月1日】 穴守稲荷-羽田(二代目。現、天空橋)が開通、穴守稲荷駅は再び中間駅となります。あわせて、羽田空港駅が正式に廃止となります。
周辺の見どころ
穴守稲荷

駅から北へ、徒歩3分。羽田地区の住民を中心に信仰を集めている稲荷神社です。もとは羽田地区にありましたが、終戦直後に米軍により羽田地区から強制退去命令を受け、現在地に移転しました。境内は比較的広く、ネコが多く見られます。神社の周辺には雑居ビルや町工場が多く並んでおり、もの作りの町として知られる大田区らしい光景が広がっています。参拝自由。
【写真】穴守稲荷。2010年10月23日撮影。