日光駅
▲日光駅駅舎《2010年5月3日撮影》

日光駅駅舎を正面から望む

【写真1】日光駅駅舎を正面から望む。《2010年5月3日撮影》

国際的な観光地である日光の玄関口として設けられた駅です。相対式ホーム2面2線から成り、両ホームは跨線橋で結ばれていますが、長距離列車がほとんどなくなった現在では、駅本屋前のホームだけで用が足りているようです。

ハーフティンバーにドーマー窓を配した現在の駅舎は、1912年に建てられた二代目のもので、木造2階建て。ネオ・ルネサンス様式のまことに優雅なもので、屋根の造形に見られる優雅なデザインは、ほかに例のないものです。“貴婦人のよう”と形容された説明文を数個所で見ましたが、私はむしろ、背筋をピンと伸ばした紳士らしい凛々しさを感じます。スレートの瓦を葺いた寄棟屋根など、日光東照宮の存在も奥日光高原の存在もあえて無視しているものですが、時代を超えた美しさを誇る、純然たる洋風駅舎です。観光地の駅舎としては、現在は路線が廃止されてしまった大社駅(国指定重要文化財)――こちらは12年も時代が下るので単純な比較は無意味ですが――とともに、最高峰の存在です。これはまた、大正ごろまでは、日光という観光地の存在がきわめて大きかったことを物語っているともいえましょう。

 

日光駅コンコース

【写真2】日光駅コンコース。駅員の制服に注目。《2010年5月3日撮影》

意匠の美しさだけではなく、皇族の利用に備えて、貴賓室や一等待合室も設けられているなど、毛並みの良い駅としては全国でも指折りの存在です。玄関部分など、開口部がゆったりと取られてはいるものの、窓の配置が採光面であまりいかされていないこともあり、駅舎内部がやや暗いのが残念。駅の天井には「鳴き龍」があり、その下で手を叩くと音を発します。

現在では、観光客であふれる東武日光駅とは異なり、駅そのものがレトロ建築として観光名所のひとつになっていることもあり、各種のレイアウトや駅員の制服などもレトロ調に統一されています。おそらく、レトロ駅舎にして観光拠点となった先輩にあたる門司港駅に学んだものでしょう。

 

日光駅改札口

【写真3】日光駅改札口。《2010年5月3日撮影》

かつては、東京方面との間をデラックス車両を用いた準急列車が爆走し、日光駅の立地条件および距離の双方で劣る東武と互角の競争を展開していた時期もありましたが、現在の日光線は普通列車のみの運転で、下り1本を除いて大半が線内完結の、純然たるローカル線になっています。東北新幹線に直結しているとはいえ、東京方面からの観光輸送は完全に東武へその役割を譲る格好になっています。それでも、外国人観光客を意識して、各所に英語の案内表記が見られます。JR日光線は外国人観光客が利用することがそれなりにあり――日本人観光客よりも多いかもしれません――、古びた英語案内が、今なお有用です。

ロケーションでみても、東武日光駅よりも坂を下った場所に位置しているうえ、駅舎じたいが相対的に小さいこともあり、目立たないのが残念。しかし、軽快さと繊細さを併せ持ち、社会的地位が高い人の利用を想定した上品な駅舎は、そんな環境だからこそ生きながらえてきたのかもしれません。

 

乗り場

南側(駅本屋側)順に、1番線、2番線となります。

駅名の由来

確認中。

歴史

1890年8月、日本鉄道の手によって開業しました。1906年に国有化されたのち、1912年に現在の優美な駅舎が完成しています。1929年に、東武日光がさらに東照宮に近い位置に開業し、浅草から直通列車を走らせると、国鉄は完全に守勢に立ちます。しかし戦後になると、国鉄日光駅にもハイグレードな準急列車が出入りするようになります。上野ではなく東京発着の便を増発するなど、国鉄の攻勢はめざましいもので、日光駅も多くの観光客でにぎわったといいます。しかし、スピードでは東武にかなわなかったことに加え、日光宇都宮道路の開通による乗客減などもあり、すっかりローカル駅となり、現在にいたっています。

かつては、貨物列車が設定されており、東武日光駅との間に並ぶ古河鉱業の倉庫からアルミニウムを搬出していましたが、これも1984年1月末かぎりで廃止されています。

周辺の見どころ

「日本観光図会」→「日光」を参照のこと(未記述)。

その他

2005年6月22日、加筆修正
2010年7月10日、写真を差し替えおよび追加のうえ加筆修正

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