富山県を中心として、鉄道、軌道および路線バスなどを運営する鉄道会社です(本社:富山県富山市)。「地鉄」という略称が定着していますが、駅名には「地鉄」ではなく「電鉄」が付されているものが多数あります。
鉄道線は、宇奈月温泉と黒部峡谷、立山黒部アルペンルートという2つの大観光地へのアプローチとなっており、前者を本線、後者を立山線が担うほか、富山市南東部地区に不二越線・上滝線が走っています。また、富山の市街地には鉄道とは別に軌道線が運行されています。地方中小私鉄としては珍しく、早くから有料特急が運転されてきたのも特徴のひとつです。
戦時統合により、富山の中核鉄道となっていた富山電気鉄道を中心として、黒部鉄道、越中鉄道、加越鉄道、富山市、日本発送電、富山県の鉄道線および軌道線を合併ないし譲受して成立しました。このため、各線とも非常に複雑な経歴をもっています。
(2007年4月3日)
【URL】 http://www.chitetsu.co.jp/
★1995年3月14日、岩峅寺にて完乗(その後の開業区間も乗車済み)。2011年7月16日、大町で全駅乗降。
電鉄富山から、寺田、上市、電鉄黒部を経て宇奈月温泉へいたる53.3kmの路線です。全線が電化されています(直流1,500V)。富山市近郊の人口密度が高いところを走るいっぽう、滑川から黒部までの区間ではJR北陸本線と完全に平行し、さらに黒部から先は人口の少ない区間となります。
JR富山駅に隣接する電鉄富山駅から稲荷町までは複線となっており、ここから不二越線の電車が分かれます。寺田で立山線を分岐し、さらに上市でスイッチバックします。この上市までが最も乗客の多い区間となっています。ここから北へ向きを変えた電車は西滑川からJR北陸本線と併走し、魚津市街は高架線になるなど人口の多い地域を進みますが、安くて速いJRとは勝負にならず、中滑川や電鉄魚津などかつての主要駅は荒廃が進んでいます。電鉄黒部からは黒部川がつくった渓谷を上流に向かって進んでいき、富山県最大の温泉街である宇奈月温泉にいたります。沿線にあるチューリップ畑が有名で、開花の時期には花をバックに電車を撮影する鉄道ファンが多く見られます。富山電気鉄道以来の古い駅舎を現在も使っている駅が多く、駅舎好きにはたまらない路線ですが、旅客設備の陳腐化が著しいと評するのが妥当でしょう。
電鉄富山と宇奈月温泉を結ぶ特急「うなづき」が運行されているほか、寺田-宇奈月温泉には、立山線から乗り入れる「アルペン特急」(立山黒部アルペンルート開通期間のみ運行)が走ります。かつては、国鉄/JRの北陸本線や高山本線からの直通列車があり、特に1970~80年ごろには、神宮前-(名鉄)-鵜沼-(国鉄)-富山-(富山地鉄)-立山という3社直通特急も走っていましたが、1999年を最後にJRからの直通運転は打ち切られています。
立山軽便鉄道によって、滑川-上市-五百石が1913年6月25日に開通したのが始まりです。この路線は上市から五百石までをショートカットするルートをとり、富山市街地に背を向けるような形になっていました。1917年に立山鉄道と社名を変更し、1931年4月6日に富山電気鉄道となったのち、1931年8月に富山田地方(現在は廃止)-上市口(上市から改称、その後上市に再改称)が、同年10月3日には電鉄富山-富山田地方が開通、電鉄富山-滑川が一本の路線となり、既存区間も含めて1,067mm軌間で全線電化されました。その後、1935年12月に早月(現・越中中村)、1936年6月に電鉄魚津、同年8月に魚津(現・新魚津)、同年10月に西三日市(後の電鉄桜井、現・電鉄黒部)と延長されましたが、この区間は官設鉄道との競合区間であり、認可を得るのには創業者である佐伯宗義の熱心な運動がありました。いっぽう宇奈月までの路線は、黒部鉄道によって三日市(後の黒部、現在は廃止)-下立が1922年11月5日に開通したのを皮切りに、1923年11月に桃原(現・宇奈月温泉)まで開通しました。1940年3月27日に富山電気鉄道は黒部鉄道に路線譲渡(正式な合併は1943年1月1日)され、現在の路線が完成しています。黒部鉄道合併後は石田港-三日市-西三日市は支線扱いとなり、早くも1940年8月7日には石田港-三日市が廃止され、三日市-西三日市は国鉄黒部駅への連絡路線として細々と残ったものの、1969年8月16日かぎりで黒部-電鉄桜井が廃止されています。
北陸新幹線が開通した暁には、平行在来線である北陸本線は第3セクター鉄道に分離されるものと思われ、本線並行区間の去就が注目されます。なお、長屋-舌山の地鉄交差部に「新黒部駅」(仮称)が設けられる予定になっています。
(2007年4月3日)
電鉄富山-稲荷町-東新庄-越中荏原-越中三郷-越中舟橋-寺田-越中泉-相ノ木-上市-新宮川-中加積-西加積-西滑川-中滑川-滑川-浜加積-早月加積-越中中村-西魚津-電鉄魚津-新魚津-経田-電鉄石田-電鉄黒部-東三日市-荻生-長屋-舌山-若栗-栃屋-浦山-下立口-下立-愛本-内山-音沢-宇奈月温泉
本線の寺田から分岐し、岩峅寺を経て立山へいたる24.2kmの路線です。全線が電化されています(直流1,500V)。本線以上に観光色の強い路線です。
寺田で向きをほぼ真南に変え、富山平野の田園地帯を進んでいきます。上滝線が合流する岩峅寺からは、常願寺川が形成する谷に沿って山へ分け入っていき、立山付近ではみごとな渓谷美が堪能できます。終点の立山は立山黒部アルペンルートの拠点で、美女平へ向かう立山黒部貫光のケーブルカーが連絡します。
立山鉄道(立山軽便鉄道から改称)が、五百石-立山(現・岩峅寺)を1921年3月19日に開通させたのが始まりです。富山電気鉄道合併後の1931年8月15日に寺田-五百石が開通し、富山市街地と結ぶ路線が成立しました。いっぽう、富山県営鉄道によって南富山から岩峅寺に達していた鉄道線は、1921年10月に横江(後の上横江、現在は廃止)、1923年4月に千垣と延長され、1937年10月1日に粟巣野(現在の本宮-立山に位置、現在は廃止)へ到達しています。このうち千垣-粟巣野は1942年6月1日に日本発送電に譲渡されますが、戦時統合によって1943年1月1日に南富山-上滝-岩峅寺-千垣の富山県営鉄道、千垣-粟巣野の日本発送電の両路線が富山地方鉄道として統合されました。戦後の1954年4月1日、小見(現・有峰口)-粟巣野を子会社の立山開発鉄道に譲渡し、同社によって千寿ヶ原(現・立山)までの区間が開通しましたが、1962年4月1日に同区間が再び富山地方鉄道に譲渡され、現在にいたっています。
(2007年4月3日)
[寺田]-稚子塚-田添-五百石-榎町-下段-釜ヶ淵-沢中山-岩峅寺-横江-千垣-有峰口-本宮-立山
本線の稲荷町から分岐し、南富山までの3.3kmの路線です。南富山-岩峅寺の上滝線とは運転系統が完全に統合されており、一体として「不二越・上滝線」と扱われています。別の路線名となっているのは、不二越線の前身が富南鉄道、上滝線の前身が富山県営鉄道という出自の違いによるものです。
富山軽便鉄道によって、富山(現・電鉄富山)-笹津が1914年12月に開通しました。1915年10月に富山鉄道と改称後、高山本線の開通に伴い、堀川新(現・南富山)-笹津が廃止され、富山-堀川新のみで営業を行っています。1933年4月20日に富南鉄道に譲渡、1941年12月1日に富山電気鉄道に譲渡され、現在にいたっています。なお、南富山-笹津は戦後、富山地方鉄道によって笹津線として復活しましたが、1975年3月末かぎりで廃止されています。
(2007年4月3日)
南富山から岩峅寺にいたる、12.4kmの路線です。稲荷町-南富山の不二越線とは運転系統が完全に統合されており、一体として「不二越・上滝線」と扱われています。全列車が普通列車です。
富山県営鉄道によって、1921年4月25日に南富山-上滝が開業し、同年8月20日には岩峅寺へ延長されています。1943年1月1日、戦時統合によって富山地方鉄道に譲渡されました。
(2007年4月3日)
南富山-朝菜町-上堀-小杉-布市-開発-月岡-大庄-上滝-大川寺-[岩峅寺]
コメント準備中。
※正式名称は単に「本線」です。
富山駅前-地鉄ビル前-◇電気ビル前-桜橋-◇荒町-◇西町-◇上本町-◇広貫堂前-◇西中野-◇小泉町-◇堀川小泉-◇大町-南富山駅前
(注)◇は掲載準備中の駅です。
コメント準備中。
※正式名称は単に「支線」です。
(注)◇は掲載準備中の駅です。
コメント準備中。
※正式名称は単に「安野屋線」です。
[丸の内]-◇諏訪川原-[安野屋]
(注)◇は掲載準備中の駅です。
コメント準備中。
※正式名称は単に「呉羽線」です。
(注)◇は掲載準備中の駅です。
コメント準備中。
[丸の内]-◇国際会議場駅-◇大手モール-◇グランドプラザ前-[西町]
(注)◇は掲載準備中の駅です。
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