北陸本線は、姫川をわたると人口密集地に入り、その河口付近に形成された町の玄関口、糸魚川に到着します。なお、糸魚川という名称の川はありません。
北陸本線と大糸線との接続駅です。もっとも、渓谷の中へと進んでいく大糸線の輸送量はさして多くはなく、「青春18きっぷ」シーズンなどを除いて乗り換え客が特に増えるというわけでもないようです。
ホームは、駅改札前の1面1線と、切り欠けを含む島式1面3線の、あわせて2面4線となっており、これらの間は跨線橋で連絡しています。北陸本線は、下り列車が基本的に改札正面、上り列車が反対側のいちばん南側で、島式ホームの北側はこの糸魚川で通過待ちをする列車などがイレギュラーで入る形になります。
いっぽう、大糸線のホームは南西側に設けられている切り欠き式の部分になります。非電化の大糸北線には専用のディーゼルカーが走っており、北陸本線との直通列車はありません。
駅構内には、糸魚川駅名物ともいうべき存在だったレンガ造りの車庫があります。鉄道創業時に設置されて以来長期にわたって使われてきました。しかし、駅の南側に北陸新幹線の駅が設置されることから、2010年3月をもって使用を終了。一時は移築保存が検討されたものの、地元の財政負担が厳しいことから保存を断念し、正面のアーチ部分のみを移設することになりました。
北陸新幹線の駅が在来線のそれに近接するのは望ましいことですし(並行在来線の将来はさておき)、したがって車庫の使用終了は当然でしょう。しかし、全国的にも希少になった構造物を、老朽化ではなく移設費の問題ゆえに実質的に破壊してしまうのはまことに残念です。具体的な代替案など思いつきもしませんが、立派で頑丈すぎたゆえの悲劇ということなのでしょうか。
駅舎は鉄筋コンクリート造2階建。おそらく1960年ごろのものと思われ、なかなかの年季物です。もっとも、日本に多くつくられたモダニズム駅舎のなかで、特に印象的な要素も見つけられませんでしたが。なお、駅の出口は本屋のある北側にのみ設けられています。駅壁面上部にグリーンの帯が巻かれ、それ以外の部分は淡いローズカラーになっています。
かつては、駅舎全体がエメラルドグリーンに塗られていました。ヒスイをイメージしたものだったのでしょう。緑色の駅舎というのは全国的にも珍しく、印象に残りやすいものでしたが、色があせやすく汚れも目立ちやすかったと思われます。
なお、北陸新幹線駅設置に伴う周辺整備に伴い、現在の駅本屋は西半分が駅務室として残り、旅客が利用する部分は新しくつくられる橋上駅舎になるという案で計画がなされています[1]
鉄道の要衝ということもあってか、駅のコンコースや待合室は乗降客数に比して大きめです。待合室では駅弁も販売されています。
糸魚川は姫川の河口に形成された街で、糸魚川-静岡構造線の起点として有名です。また、姫川や青海川の一帯は、ヒスイを産出することでも知られています。もっとも、観光地としての知名度がどこまであるのかはわかりませんが。
駅前は地方都市によく見られるようにうら寂しく、駅前から伸びるアーケード街もシャッターを下ろした店をつなげているのみです。それでも駅前広場はなかなか立派なもので、数多くのタクシーが待機していました。
前述のとおり、将来は北陸新幹線の駅が設けられる予定です。その暁には、駅の風景も大きく変わるのでしょう。そしてまた、駅舎、跨線橋、ホーム上屋支柱、車両、車庫などなど、国鉄らしい雰囲気を濃厚に残している駅の雰囲気そのものもまた、消えていくのでしょう。
停車列車 [2010年9月現在]
確認中。
乗り場
北側(駅本屋側)から順に、1番線、2番線、3番線となります。4番線は、2番線ホーム富山方端の切り欠け式ホームです。
- 1.北陸本線下り 直江津方面
- 2.北陸本線下り 直江津方面/北陸本線上り 富山、金沢方面
- 3.北陸本線上り 富山、金沢方面
- 4.大糸線 南小谷方面
駅名の由来
糸魚川の名称由来については諸説あり、定かではありません[2]。
歴史
- 【1912年12月16日】 信越線(当時)の名立-糸魚川が開通した際に、終着駅として開業。
- 【1913年4月1日】 青海-糸魚川が開通、これに伴い信越線の直江津-糸魚川が北陸本線に編入され、北陸本線全通。糸魚川駅は中間駅となります。
- 【1934年11月14日】 大糸北線(当時)の根知-糸魚川が開通、接続駅となります。
- 【1987年4月1日】 国鉄の分割民営化に伴い、JR西日本およびJR貨物の駅となります。
周辺の見どころ
確認中。
- 糸魚川市公式Webサイト「糸魚川駅周辺整備の変更経緯について」より(2010年9月12日確認)
- 参考:さっかん「糸魚川という地名について」(2006年10月26日)