小ぶりで瀟洒な駅舎ですが、これは駅前にあるホテル「Mt.レースイ」のレイアウトにあわせたものです。ホテルはスキー場のすぐ脇にあり、スキー観光客の利便性を第一に図ったものといえます。
もっとも、最初からこの位置に駅があったわけではなく、開業当初からは炭鉱の積み出し地、のちにテーマパーク「石炭の歴史村」の入口となった位置に立地していました。運炭線として作られた路線でもあり、鉱山の近くに駅を設けたわけです。1978年に貨物営業が廃止されたのち、1985年10月13日に市役所のすぐ近くに駅が移動しましたが、これは貨車を転用した粗末な駅舎があるのみの寂しいものでした。現在の駅は1990年12月26日に移設されたものですが、2代目の夕張駅との距離は800mもあります。傾斜があるとはいえ、中間駅にすることはできなかったのだろうかとも思いますが。
“炭都”として繁栄した夕張も、相次ぐ閉山の結果、観光に重点を置いた街へと転身を図りました。しかし、夕張の観光を担う第3セクターの多くは債務超過に陥り、夕張市の財政状況も極端に悪化、財政再建団体に指定されるにいたっています。
駅舎の維持管理をしていた夕張市にはその余裕はなく、ログハウスメーカーが駅舎の改修と維持管理を行い、駅舎内にはイタリアンカフェがオープンしたとのことです[1]。
駅名の由来
駅名となっている都市名、夕張の名称は、アイヌ語の「ユーパロ」(鉱泉の湧き出るところ)が転訛したものという説が有力で、シューパロも同語源です。
歴史
かつては石炭搬出の拠点でしたが、国鉄末期にはすでに石炭列車は過去のものになっていました。
- 【1892年11月1日】 北海道炭礦鉄道によって、追分-夕張間が開通した際に開業。
- 【1906年10月1日】 北海道炭礦鉄道国有化に伴い、国有鉄道(逓信省鉄道作業局)の駅となります。
- 【1909年10月12日】 「国有鉄道線路名称」にて、夕張線の駅となります。
- 【1978年4月30日】 この日かぎりで貨物営業廃止。
- 【1985年10月13日】 市役所裏手に移転。これに伴い夕張支線の営業キロは1.3km短縮。
- 【1987年4月1日】 国鉄の分割民営化に伴い、JR北海道の駅となります。
- 【1990年12月26日】 Mt.レースイリゾート前に再移転。これに伴い夕張支線の営業キロはさらに0.8km短縮。
- 【1991年9月7日】 時計台付きの欧風駅舎に改築。
周辺の見どころ
確認中。
- 「夕張駅舎に再興の芽 イタリアンカフェ開店」朝日新聞(北海道)、2009年7月16日。