2面3線から成る地上駅で、駅舎は橋上に設けられており、自由通路が併設されています。新設の橋上駅舎には無機質なものが多いのですが、ここの駅舎は改札口がカウンター状になっており開放的で、出入りがしやすく明るい雰囲気になっています。上掲の写真は南口から撮影したものですが、北口ではこれときれいに対称形となっています。
学園都市線(札沼線)の中核駅で、この駅を起終点とする列車が多く設定されています。この石狩当別までが、札幌圏に入っていると言えるでしょう。ここから先の区間はローカル線となり、次の北海道医療大学を越えると、駅前に必ずと言っていいほど離農地や廃屋などが見られるようになります。
地名の由来は、アイヌ語の「ト・ペツ」(沼から来る川)によります。
もとは「質実剛健」というフレーズが似合いそうな無骨な駅舎でしたが、現在はスマートな駅舎に変貌しています。一介の旅行者として寂しさが残るのもまた確かですが。
石狩当別以北では、機関を2台搭載したキハ53が、単行のツーマンで運転されていました(1996年3月7日撮影)。大半のローカル列車がワンマン化されていった中で、札沼線石狩当別以北が長いことワンマン化されていなかったのは、深名線と同様、廃線への布石かと思われましたが、1996年3月にワンマン化が行われ、それと同時にキハ53も引退しました。
乗り場
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駅名の由来
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歴史
札沼南線(当初、桑園-石狩当別)の終着駅として開業し、1935年10月3日に石狩当別-浦臼の開業によって全通しました。戦時中、石狩当別-石狩沼田が不要不急路線としてレール撤去の憂き目に遭いましたが、1946年12月10日に石狩当別-浦臼が復活、残る区間も1956年までに全線で運行が再開されました。貨物営業は、1979年1月31日かぎりで廃止されています。
- 【1934年11月20日】 国有鉄道(鉄道省)札沼南線・桑園-石狩当別間が開業した際、新琴似駅開業。
- 【1935年10月3日】 札沼線・石狩当別-浦臼間が開業し札沼線全通、中間駅となります。
- 【1944年7月20日】 この日かぎりで石狩当別-石狩沼田間が不要不急区間として休止。
- 【1946年12月10日】 石狩当別-浦臼間の営業再開。
- 【1979年1月31日】 この日かぎりで貨物営業廃止。
- 【1987年4月1日】 国鉄の分割民営化に伴い、JR北海道の駅となります。
- 【1994年11月3日】 橋上駅舎供用開始。
周辺の見どころ
伊達記念館/伊達邸別館【未訪】
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