道央には、鉄道草創期から石炭輸送を念頭に置いて敷設された路線が多数ありました。函館本線(本線)や室蘭本線などの幹線は現在も健在ですが、運炭線の多くはこれら幹線から分岐する支線だったため、産業構造の変化に伴い石炭産業が壊滅状態になると、これのあとを追うように姿を消す路線が出て行きます。これに追い打ちをかけたのが、1980年代に進んだ国鉄ローカル線の廃止で、これで大半の運炭支線が消滅しました。
独自の路線名をもたなかったため特定地方交通線の指定こそ受けなかったものの、函館本線の支線だった砂川-上砂川も、細々と石炭輸送を行っていたものの、並行道路の路線バスが多数運転されているうえに運転本数が極端に少ないこの区間は、いつ廃止されてもおかしくない状態でした。炭鉱閉山間際に石炭貨物輸送が消滅すると、この区間の存在意義は完全に失われ、私が訪問してから1年とたたずに廃止されることになりました。
末期には、1両のディーゼルカーが細々と1日に6往復するのみという状態でした。当時、深名線や札沼線末端区間と異なり、ワンマン化という形で設備投資が行われており、当面は廃止することはないと思っていましたが、ワンマン化と存廃の関連はなかったようです(その後、深名線は廃止、札沼線末端区間はワンマン化)。
上砂川駅は、テレビドラマ「昨日、悲別で」でロケに使われた経緯があり、駅名標の裏側には「かなしべつ」の文字が見えました。1987年5月には、発足間もないJR北海道が無人化した駅舎を地元の文化サークルなどに無償で開放する施策の第1号となり、「炭鉱のまち若者の会」と地元の商工会議所青年部が駅舎の運営にあたりました[1]。なお、この駅舎は100mほど砂川方面に移築のうえ、現在も保存されているといいます。
1987年に三井砂川鉱が閉山になったのちには、旧立坑を利用した地下無重力実験センターが設置されました。もとより上砂川支線とは無縁の施設ではあります。
歴史
国鉄時代にすでに石炭輸送は終了していましたが、一応JR貨物が免許を取得していました。
- 【1926年8月1日】 砂川-上砂川開通に伴い、一般駅として開業。当時は中間駅がなく、一駅のみの支線でした。
- 【1987年3月24日】 石炭輸送終了、トラック輸送に切り替え[2]。
- 【1987年4月1日】 国鉄の分割民営化に伴い、JR北海道およびJR貨物の駅となります。
- 【1992年3月31日】 この日かぎりでJR貨物の営業を終了。
- 【1994年5月15日】 この日かぎりで廃止。
- 『鉄道ジャーナル』鉄道ジャーナル社、No.251(1987年9月号)、126ページ。
- 『鉄道ジャーナル』鉄道ジャーナル社、No.247(1987年6月号)、103ページ。